ブルース・リーの生涯 ロサンゼルス時代


●1966年
3月、一家でロサンゼルスに引っ越す。
☆この頃、イノサントとの会話から“JKD”の呼び名が生まれる。
★ジェフ・マーレーの演技学校に1カ月通う
☆第1回カリフォルニア州カラテ選手権でデモンスト レーションを行う。
6月6日、『グリーン・ホーネット』収録開始。準主役の日本人・カトー役。
9月9日、『グリーン・ホーネット』放送開始。(ABC-TV)

●1967年
1月、『バットマン』の二つのエピソード(前後編)に“カトー”として出演。
★1月17日、日本でもNTV系列で『グリーン・ ホーネット』が放映される。
2月9日、
ロスに第3の「振藩國術館」開設。道場はダン・イノサントに任せる。この時、イノサントに3種の免状全てに3ランク(インストラクターレベル)を授ける。自らの武術と哲学をまとめて昇華・創始したジークンドーは、主に個人レッスンで指導。
3月 『グリーン・ホーネット』放送終了。
5月 ワシントンDC国際カラテ選手権にてデモンストレーション
6月 
マジソン・スクエア・ガーデンの全米オープ ンカラテ選手権にゲスト出演。
☆チャック・ノリスと出会う。
6月 TV『鬼警部アイアンサイド』にゲスト出演。捜査に協力する道場主リオン・スーの役。
7月30日、
ロングビーチの「国際カラテ選手権」で弟子のターキー木村、ジェームズ・リーを相手にフルコンタクト・スパーリングを披露。防具と“掴めるグローブ”を装着した実戦的・先進的なスタイルは、武道界に衝撃を与えた。今日では一般的となった総合格闘技の先駆けである。
☆初めて「ブラックベルト」誌(アメリカで最も権威 ある格闘技雑誌)の表紙を飾る。


TV番組「グリーン・ホーネット」でのカトー役

撮影現場に「カトー」を訪問した
ジョージ・リー(左)とジェームズ・リー


道場でダン・イノサントと
打ち合わせをするブルース・リー。

●1968年
 ☆JKDの個人レッスンを始める。門下にはハリウッドスターも。

6月 ジューン・リー主催の「ワシントンDCナショナル・カラテ選手権」で模範演武。カルバーシティへ転居。
7月 『サイレンサー・破壊部隊(The Wrecking Crew)』でアクション指導。主演/ディーン・マーチン、シャロン・テイト
8月 MGM映画『かわいい女(Marlowe)』にゲスト出演(公開は翌年)。
   主演/ジェームズ・ガーナー。
☆同作の脚本家スターリング・シリファントのバックアップによるもの。レイモンド・チャンドラーの原作には無いキャラクターで“悪役ブルース・リー”が、素手で主人公の事務所を粉々に破壊する。
11月 TV『ブロンディ』『ヒア・カムズ・ザ・ブライズ(邦題/掠奪された100人の花嫁)』各1エピソードにゲスト出演。

●1969年
4月19日 長女シャノン誕生(中国名/李香凝)
同月 映画『春雨を歩けば』でアクション監督。
5月 『サイレント・フルート』の企画立案。その後、ジェームス・コバーンらとともにインドまでロケハンまで行うが、諸事情で製作は頓挫。

●1970年
4月 帰郷した香港でTV出演。大反響を呼ぶ。

5月 トレーニング中、仙骨を痛め、病床につく。
☆この時期、膨大な量のエッセイ、格闘理論などを執 筆。それらは、没後「Tao of Jeet Kune Do」などに編まれ、出版されていく。
☆TV『ロングストリート』の1エピソードに“JKDの教師”(本業は古物商)役で出演。役名はリー・チョン(李冲)主演/ジェームズ・フランシスカス、 脚本はスターリング・シリファント。サブタイトルは「The Way of the Intercepting Fist」。邦題「波止場の対決」。

・映画製作者フレッド・ワイントローブとTVシリーズ『The Warrior』の企画を練る。(後にデビッド・キャラダイン主演で製作された、『Kung Fu〈燃えよ!カンフー〉』)
・母グレースのアメリカ永住権手続きのため、ブランドンと香港へ。
★ショウ・ブラザース映画会社と出演交渉するが、金額が合わず決裂。


香港の人気女優,ナンシー・クアンに
蹴りの指導をするブルース・リー(映画『サイレンサー・破壊部隊』にて)。


アイソメトリクス・トレーニングを行うブルース・リー
多忙な中にも鍛錬を欠かすことは無かった。


瞑想するブルース・リー。

苦難の末、ついに成功への切符を手にした一人の男。
それは彼の凄まじいまでの努力の結晶に他ならない。