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カリ/シラットとは何か?

 『ブルース・リーの映画によって、ヌンチャクを振り回してケガをする子供が続出した70年代・・・』こんな記述はよく見かけます。そして、今も「私がブルース・リーにヌンチャクを教えた」と語る人は沢山居ます。しかし、これらは全て間違いです。なぜなら、ブルース・リー師祖が映画で演じた武器術のベースになったのは、ダン・イノサント師父から習ったフィリピン武術・カリだったのですから!そしてヌンチャク、と言われているのはフィリピン武術ではタバク・トヨクと呼ばれる武器なのです。このコーナーでは、JKDの併伝武術である、カリとシラットについて解説します。(但し、併伝はされていても、JKDとカリ/シラットは別物です。)[右の写真は、シングルスティックでカリの練習を行う若き日のイノサント師父]

 日本が室町時代だった頃、東南アジアにマジャパヒト王国という国がありました。 この国にカリと呼ばれる武術がありました。これが、今日(コンニチ)のカリ/シラットの原型です。偶然かもしれませんが、日本の武術も流派として纏まり始めたのはこの頃です(香取神道流等)。また、ヨーロッパのフェンシングも系統だった武術としての源流を辿れば、この時代に行き着くそうです(銃の登場で鎧が廃れ、細い剣の剣術が登場した)

 カリ/シラットは、今日では多くの流派に別れていますが、主として、フィリピン系をカリ、インドネシア系をシラットと呼びます。カリの一部の流派はエスクリマやアーニスに分派しましたが、これらはカリの親戚の様なものです。もちろん、技術的な差異は存在しますが、流派によって「ウチはカリ」「ウチはアーニス」と称しているのです。

 さて、「空手」と一纏めにしても、実際には様々な流派が存在する様に、カリやシラットにも百を越える流派が存在します。以下は、ダニエル=イノサント師父(Guro Daniel Inosanto)の伝える流派を中心に書いていきます。イノサント師父は、約30人のカリの先生に師事してきました。その中でも、特に大きな影響を受けたのが、ジョン=ラコステ先生(Master Juanito "John" LaCoste 1977年没)です。イノサント師父は、ジョン=ラコステ先生没後、ラコステ=システムの継承者にもなっています。一方、シラットに関しては、イノサント師父はシラーク派のペンチャックシラット(略してシラット/Serak Pentjak Silat)の達人、"ペンダカー"ポール=デトワーズ (Pendekar Paul de Thouars ;なお、ペンダカーとは、一子相伝であるこの武術の「伝承者」の称号です) に師事しました。また、ペンダカーはシラーク派シラットの初級の技を元にブキティネガラ(Buktinegara)を制定しました。もちろん、イノサント師父はブキティネガラもマスターしています。ブキティネガラとシラーク・シラットの関係を 分かりやすく(?)たとえると、コンビニとデパートの関係に近いと思います。「なんでも揃う」デパートから、日常生活の必需品を中心に商品を厳選してあるコンビニのように、修得に非常に長い時間を要するペンチャックシラット=シラークを基に、比較的短期間に修得することが可能で、護身術として実用的なエッセンスを抽出して作られたのが、ペンチャックシラット=ブキティネガラなのです。

 先程、「カリやシラットにも数多くの流派が存在」すると書きましたが、日本にもその一部は伝わってきています。對木佳史氏の指導する、シンラバ・シラットがそれです。筆者も對木氏の著書は拝見しましたが、その技法はブキティネガラとは大きく異なっていました。しかし、福昌堂の「マーシャルアーツ・マニア」という単行本では、「ブルース=リーも学んだ実戦的伝統武術」という見出しでシンラバ・シラットが紹介されています。勿論、これは間違いで、ブルース=リーが研究したのはシラーク派です。両者には空手と合気道ほどの差があります。


 では、マジャパヒト王国のカリがフィリピノカリ(Filipino Kali) へと進化する過程等を、もう少し詳しく書いてみます。

 1521年,マゼランがフィリピンを訪れ、(フィリピン側は侵略に来てと言う)ラプラプ(Lapu Lapu) に殺されました。実は、このラプラプもカリの使い手(Eskrimador/エスクリマドール)でした(!)。 このスペイン文化との接触を経て、フィリピンではスペインのフェンシングが研究され、エスクリマと称する分派が生まれました(フェンシングの正式名がエスクリムだから)。また、同時に、従来の棒術とスペインのナイフ術を組み合わせたエスパダイダガ(espada y daga=二刀流的な技術)も研究されました。結局、部族間の対立抗争やスペイン人の銃のせいで、フィリピンはスペインの植民地となりましたが、カリは踊りとしてスペイン人の眼を欺いて稽古され続けました(カポエラみたいですね)。1898年の米西戦争の結果、フィリピンはアメリカの植民地となりました。 この時代も、エスクリマドールは暴動を繰返し、特にモロ族は、拳銃で撃たれてもひるまなかったそうです。

 第二次世界大戦後は、多くのエスクリマドールの達人がアメリカに移住しました。その結果、フィリピンではカリはすっかり廃れてしまったと言われます。この移民の中に、 ジョニー=ラコステ先生やフロロ=ビラブライル先生(Master Floro Villabrille)も含まれていた訳です。ちなみに、このビラブライル先生は、フルコンタクト・カリ(棒を使うバーリトゥードが昔はあったのです)のグランドチャンピオンで、イノサント師父も彼の指導を受けた事があるそうです。

 カリの技術的特徴としては、手技を重視する事(カリとはKAMOT LIHOKの略で「手の動き」の意)、聴勁を活用する事(簡単に言えば、相手の力の流れを利用する事。首相撲や柔道の崩し等と共通点がある)、武器術を重視する事、等々です。(男なら堂々と素手で勝負しろ、という論理はカリには通用しません。逆に、素手でも  "正義なき力" ならば"卑怯" な"暴力" に過ぎません。本来、武術は"拳械一致" で 体術と武器術は表裏一体の関係です。人に切られず人切らず、と主張する日本武道でも 百年前までは、剣術が表看板でした。)

 また、カリの特徴として、詠春拳を母体とするJKDと共通点が多く、両者の相性の良さが窺われます。(相性が良いからこそ兼習できる)カリの練習内容は、2人組でのドリル(パターン練習)が中心となります。 尚、左はイノサント師父に稽古をつける晩年のラコステ先生(当時89歳!)です。(この年齢で、軽々と腰を落として動くことが出来るのは本物です!)

 


 では、次にシラットについて解説します。シラーク・シラットはバ・パク・シラーク(BA PAK SERAK/BA PAKは父の意)が、約百年前に創始しました。またもや偶然かもしれませんが、日本の合気道やその源流の大東流、中国の八卦掌など、比較的似た雰囲気の武術がその同時代に、世に現れています(八卦掌は流派間の技術的な差異が大きい様ですが)

 バ・パク・シラークが戦争で、片腕と片足を失ったので、シラーク・シラットでは前足で全体重を支える立ち方を基本としています。同じ理由で、シラーク・シラットはパワーでもスピードでも人数でも、自分の方が不利だという前提に立ち、タイミングを重視した技によって勝ちを得る事を目指しています。理念的には中国拳法の八極拳と共通した部分も多い、特異な体術です。

 そして、オランダ系インドネシア人のペンダカー・ポール=デトワーズ(右写真)が1985年にシラーク・シラットの初級の技を中心に、ブキティネガラ(『Witness Continent(大陸の目撃者)』の意)を創出しました。シラーク・シラットの膨大な体系(武器術は勿論、霊的訓練まであります)と比べると、ブキティネガラは氷山の一角に過ぎません。技術的には、シラーク・シラットは素手を学んでから武器術を始める(カリと逆)のに対して、ブキティネガラは基本的に素手のみで、肘や膝の当身が多く(カリと共通)、「打・投・極」を兼備し、「インドネシアのコマンドサンボ」と呼ばれる事もあるそうです。練習内容は、ジュルーと呼ばれる一人型や、サンボットと呼ばれる二人型、一人あるいは二人で行う各種のドリルが中心となり、自由組手や連続組手、複数人を相手にした多人数掛け組手もおこないます。ブキティネガラの型はいわばシラークのダイジェスト版ですが、非常に完成度の高い型との評価を受けています。

文責:K.N.(東京本部)

参考文献:Daniel Inosanto "The Filipino Martial Arts", Know Now Publishing Company,1980(絶版)
参考ホームページ:ペンチャクシラット・ブキテイネガラ・ホームページ(英語)


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