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●JKDの実戦、そして実践 JKDは、近年特に注目を集めている“総合格闘技”の元祖です。 JKDには試合がありません。いわゆる“禁じ手”が無いからです。いかなる状況・場面でも、使い得る最も有効な攻撃方法として、“目突き”“金的打撃”も技の中にあるのです。(当然ですが、練習の際は防具をつけるなどの安全策が設けられています。また、イノサントアカデミーでは、実戦のカンを養うためにムエタイルールやバーリトゥードスタイルでのスパーリング等も行われています。)格闘技としての特色は「実戦は6秒で終わらなければならない」という戦術思想にあらわされるように、短期決戦を旨とする苛烈なスタイルであるといえます。 このように“実戦至上主義”のJKDですが、その精神・考え方は、格闘技のみならず、実生活でも活かすことができます。いわば、“実践至上主義”こそがJKDの本質なのです。 |
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●心を解き放つ 武道の面でいう「心の解放」とは、自分が学んでいる流派にこだわらず、他のスタイルの長所は認め、必要ならば真摯に研究したり、教えを乞う姿勢を保つこと、と理解できます。 日常生活に置き換えて考えるとどうでしょう。人は、誰でも自分に関わる他人に対し「この人は◯◯だ」というイメージを持ちます。「良い人」「油断できない人」「イヤなヤツ」等々…。
日常生活で「心を解放する」とは、先入観や偏見を捨て、素直に他者を見ることとも言えます。もちろん、どんなに誠意をもって接しても、失望させられることもあるでしょう。しかし、そうした経験も自己成長を促すステップと思えば、気分が楽になるはずです。やみくもに、周囲の全ての人を100%信用する、ということは現実的ではありません。けれども、「自分の判断は常に正しい」と、根拠の曖昧な自信を持つことも危険です。他者の美点に気づかないということは、自分自身の人間関係も狭めてしまうことになるからです。 ◇流れる水のように ブルース・リーは、武道の説明によく「水」を譬えに出します。“水のように動く(生きる)”とは、どんなものなのでしょう。もちろん、自分のおかれた状況、周囲の環境に流され、惰性に任せた生活を送る、などということではありません。 よほどの強運に恵まれた人でない限り、人生で辛く困難な状況に遭うことは少なくないでしょう。失敗したり、挫折を繰り返し、どん底の苦渋を味わったとしても、そこで諦めてしまい、「自分はダメだ」と思いこんでしまったら、心の成長はそこでストップしてしまいます。流れが止まり停滞した水はやがて濁っていきます。 そんな時は、自ら新しい流れを創らなければなりません。それは、武道でなくても良いのです。好奇心を捨てず、何か新しいことに興味を持ち行動を起こすことで、エネルギーが満ち始め、水は新たに流れ出します。
やることなすこと全てが思い通りにいく時は、寧ろ自分を厳しく見つめ、その流れが間違った方向へ行かないように制御しなくてはなりません。人生という奔流には、どんな崖が、どういう分岐点がいつどこで待ち受けているかわからないからです。 むやみに周囲と衝突はせず、しかし、いざという時は、簡単に掴まれず傷つけられることのない強靭な心。 そんな「水」のような意志を保つことも、JKDの精神に通ずる重要な要素です。 それではJKDの実践というものがどのようになされるべきなのでしょうか?その手本は、まさにそれを創始した人、ブルース・リーの人生の中にあります。 〜この項おわり〜 |