ダン・イノサント師父プロフィール

1936年7月24日、カリフォルニア州ストックトン生まれ。フィリピン系アメリカ人。10才の頃から柔道、柔術、沖縄空手を学ぶ。学生時代は、フットボール選手として活躍。100ヤードを9.5秒で走る俊足を誇った。

1959年、アメリカ軍パラシュート部隊に入隊。その訓練の傍ら、千唐流空手などを学び、除隊後、フィリピン武術カリ、ケンポーカラテ、南派少林拳などを修行。

1963年より学校教師を職業としながら武術に励んでいたが、その翌年、ブルース・リー師祖との運命的な出会いが訪れる。“アメリカカラテの父”エド・パーカー氏主宰の「インターナショナル・カラテ・チャンピオンシップス」である。

お互い、さまざまな武術・流派を研究し、修行していた2人は、意気投合。既にケンポーカラテでは、高弟といえる地位にあったにもかかわらず、イノサント師父は年下のブルース師祖からグンフー(ジュンファン)を習い、その技術・哲学を体得していく。そしてJKD(ジークンドー)をブルース師祖と共に育み、2人は生涯の友人、欠かせないパートナーとなった。

イノサント師父はブルース師祖にヌンチャク(カリのタバクトヨク)を紹介し、その技法を伝授。ブルース師祖は準主役を務めていたテレビ番組『グリーン・ホーネット』でヌンチャクを登場させた。因に、同作品でイノサント師父は、敵役(マコ岩松)のスタントとしてブルース師祖とのファイティング・シーンも演じている。※劇場編集版にも使われた「火を吐くカラテ(Praying Mantis)」のエピソード。“ブルース師祖vsイノサント師父”が、『死亡遊戯』公開以前に大スクリーンで展開されていたわけだ。 

1967年2月9日、ロサンゼルスのチャイナタウンに3つめの「振藩國術館」が開設され、その日、ブルース師祖からJKD免状含む3種類の免状全て3ランク(指導員レベル)を授与される。ブルース師祖認定JKDランクの最高ランク保持者となる。

1971年、ブルース師祖が香港へ移るため、同校を閉校。自宅に練習場を変え、ブルース師祖の指示通り、少数の弟子にJKD、後にカリも教えていく。

1972年、ブルース師祖の要望で香港へ行き、映画『死亡遊戯』でブルース師祖と激しい武器術ファイティング・シーンを撮影した。

ブルース師祖の死後、1974年、フィリピノカリ・チャイニーズボクシングアカデミーを開校。1980年代からはイノサント・アカデミーを主とし、世界中でセミナーを開く。自身の道場に決して「ブルース・リー」「JKD」の名を冠してはいないが、実質的には、真のJKDオリジナル・アート&フィロソフィーを伝え続けている一人である。世界中に弟子を持ち、尊敬を集めながら、現在でも『私は常に初心者の気持ちで練習している』と語り、その姿勢を変えることのない“生きる伝説”とも言うべき存在だ。

1993年11月、日本振藩國術館の招聘で日本セミナーを開催。また、1998年12月も日本振藩國術館主宰の日本セミナー開催のため再来日。年齢を感じさせない動きを見せ、参加者を驚かせた。

JKD6ランク・インストラクター。USAムエタイ協会副会長。佐山サトル認定シニア修士レベル指導員。USA修斗協会副代表。日本振藩國術館最高顧問でもある。

他にも、マジャパヤット(創生者の次レベル),クラビクラボン(7レベル),ペンチャックシラットマンディムーダ(グル(導師)レベル),サバット(モニター=上から2番目のレベル),バンドー(インストラクター・レベル),ケンポー・カラテ(初段),マレーシア・バーシラット(グル・レベル),フィリピノカリ・エスクリマ・シラット(実に30近い流派の黒帯レベル),マチャド柔術(黒帯)など、様々な格闘技を修める。